代表の経歴
どこの街にもある小さな電気屋さんの二男として、1965年に生まれる。
将来は家業を継ぐことも考え、地元の工業高校電子工学科にすすむ。
その後は某家電メーカーの後継者養成学校に進み、経営から簿記まで幅広く学ぶ。卒業後はメーカー系列会社に勤務したり、系列チェーンストアで商売の基本などを学ぶ。その後、家業の後継ぎのために一旦家に戻るが、仕事に対する面白みのなさや親子の軋轢などの理由から、実家を離れる。(26歳)
その後はメーカー系列のグループ修理サービス会社に約10年在籍をする。当時はセンターに毎日、故障したテレビやVHSが山のように届き、蓋を開けては悪い箇所を発見することが本当に楽しかった。一日何台治したかを同僚と競い合ったりすることが本当に面白かった。ニュースステーションが終わり、大相撲ダイジェストが終わり、日付が変わる頃まで会社にいても、何の苦痛もなく仕事に没頭していた。気力と体力の20代であったことが大きいと振り返る。
時は29歳、家電業界も経営合理化のため、センター統廃合、働いていた全員が異動や離職を余儀なくされた。それでも新しい街と初めての一人暮らしに、異動一年目は本当に楽しかった。新しい職場にどきどきし、新たな出会いにわくわくし、名古屋市名東区藤ヶ丘という少しこじゃれた街が、沖縄のまぶしい太陽のように毎日をさんさんと輝かせてくれていたと記憶している。
それでも悲しいかな、飽きてくるのが人間という生きもので、異動3年目頃から職場の人間関係や仕事の部門が変わったこともあり、辞めたいと思う気持ちが日に日に増していった。コンビニで就職マガジンを買いあさり、独立起業の本や雑誌を何度読みあさってみても、結局のところ自分には何ができるか、何が向いているか、そこにどれだけ時間を費やし考えても、全く答えがでなかった。ただ分かっていたことは、できれば起業して自由になりたい。
転機となる出会いが訪れる。忘れもしない1999年の12月、当時ピアノ講師をやっていた知人からクリスマスのアマチュアライブに誘われ、何の予定もなく暇な週末であったため顔を出した。ガラス職人というと大げさであるが、サンドブラスト加工を個人で営んでいるMr.Hにそこで 「出会った」。彼はその夜ギターを弾いていた。

ガラス サンドブラスト加工
新しい年を迎えた2000年の正月休みの間に早速Mr.Hの工房を見学させてもらった。その後Mr.Hとは急速に付き合いが深まり、その年は仕事帰りや休日の度に、Mr.Hの工房に足を運んだ。ますます面白さが増した。技術的にはそれほど難しくなく、初期投資もそれほどかからず、個人でも開業でき、このオリジナルギフト制作を始めて商売にしたいと日に日に思うようになった。法人営業なんてやったことがなかったけど、ガッツとパッション、まごころと誠意だ、何とかなるとあの当時は安易な考えをしていた。
喉元まで出かかった場面が何度あったことだろう。これはまるで告白ではないかと内心苦笑した。時は2002年3月、今日こそはもう決めないとと、幾度のチャレンジでも言えなかった「辞めさせていただきます」という11文字を上司に告げて、総計18年間身をおいた家電業界をさよならした。
4月を迎えてはれて自由人になったが、喜びは最初の3日間で終わった。ここから苦悩の日々が始まり、最初の3年間は今でも想像を絶する。
みなさまのご支援のもと、スタッフともども、本当にやりがいと感謝で毎日取り組まさせていただいております。
代表取締役 安藤公治